【中国語でカラオケ】中国の昔の流行曲ベスト20 1990年代篇
今回は、中国の90年代の流行曲をご紹介します。Cポップが世界の影響を受けるなか、中国国内の伝統的なメロディーと融合し、とても素敵な曲が生まれている90年代。ぜひ歌詞にも注目して聞いてみてください、より当時の人々のことが分かるかもしれませんね。
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もくじ
一 中国の1990年代の音楽産業
二 中国の1990年代の流行曲ベスト20
1 『一度かっこよく歩いてみよう』葉蒨文(サリー・イップ)
2 『親愛なる恋人よ』梅艶芳(アニタ・ムイ)
3 『光り輝く歳月』Beyond
4 『あなたへの愛がつきない』郭富城(アーロン・クォック)
5 『夢が覚めるとき』陳淑樺(サラ・チェン)
6 『青りんごの楽園』小虎隊
7 『三日月に照らされて』劉歓(リュウ・ハン)
8 『九妹』黄鶴翔(ホアン・へーシャン)
9 『同席のきみ』老狼(ラオラン)
10『芳ちゃん』李春波(リー・リュンポ)
11『冬に雨を見に台北へ来て』孟庭葦(アーヤ)
12『キスして別れ』張学友(ジャッキー・チュン)
13『大海は笑う』許冠杰(サミュエル・ホイ)
14『千年に一度』高勝美(カオシェンメイ)
15『弱い心で』任賢斉(リッチー・レン)
16『水夫』鄭智化(チョン・ジファ)
17『忘情水』劉徳華(アンディー・ラウ)
18『心雨』楊玉瑩、毛寧(ヤン・ユーイン、マオ・ニン)
19『平安をいのります』孫悦(スン・ユエ)
20『約束1998』那英・王菲(ナヨン、フェイ・ウォン)
三 まとめ
一 中国の1990年代の音楽産業と背景
90年代の中国国内流行歌の特徴は、旋律と曲風に日韓と欧米の音楽の影響を受けていることです。同時に、本土の人気楽曲や地方のメロディーの特徴を残しています。また、複雑な和音が多く、音楽をより豊かに表現しました。それだけなく、伝統、ジャズ、レゲエ、饒舌、ラテンリズムなど、多くの新しい手法が導入されています。さらに特徴的なのは、90年代の流行歌は感情表現においてよりリアルで繊細であることです。恋愛中の男女の感情の変化を描写、人々の愛情に対する渇望、失望、希望を表現している。曲のメロディーも歌いやすいものが多いです。
90年代は中国経済が急速に発展した時期で、情報が飛び交った時代でもありました。都市化の加速と人々の生活水準の向上に伴い、人々の文化娯楽に対する需要は日々増していました。同時に、音楽映像技術の発展に伴い、CD、テープ、MP3などの音楽キャリアが徐々に普及し、より多くの人が流行音楽に触れることができるようになりました。また、中国の世界貿易機関への加盟やその他の国際交流の増加に伴い、中国のポップスも国際的な影響を受けるようになってきました。
二 中国の1990年代の流行曲ベスト20
1『一度かっこよく歩いてみよう』葉蒨文(サリー・イップ)
中国語:《潇洒走一回》(xiāo sǎ zǒnɡ yī huí)叶蒨文(yè qiàn wén)
葉蒨文は1961年9月30日生まれ、中国台湾省台北市出身の女性歌手、俳優。1980年、アルバム『春のレリーフ』でデビュー。1984年、芸能活動を香港に移し、初の広東語アルバム『葉蒨文』を発売。『瀟洒走一回』は、1991年10月28日に発売された同名アルバムに収録されており、1991年の台湾ドラマ『京城四少』の主題歌。作詞は、陳楽融、王蕙玲、作曲は陳大力、陳秀男である。1993年、同曲は第4回台湾金曲賞最優秀年間楽曲賞を受賞し、陳大力、陳秀男は同曲で第4回台湾金曲賞最優秀作曲者賞を受賞した。彼女が所属する香港の「ワーナー・レコード」と台湾の「フライボード・レコード」が戦略的パートナーシップを結んだ後、音楽事業を香港以外の広い中国語市場に急速に拡大させた。
2『親愛なる恋人よ』梅艶芳(アニタ・ムイ)
中国語:《亲密爱人》(qīn mì ài rén)梅艳芳(méi yàn fān)
梅艶芳は1963年10月10日生まれの、中国・香港出身女性歌手、俳優。慈善家、香港芸能人協会創設者及び初の女性会長。1982年「第1回新人歌唱コンテスト」で優勝し、その後、ソロ初のアルバム『心債』をリリース。『亲密爱人』は、作詞作曲とも小虫 (陈焕昌)で、梅艶芳が1991年2月12日に発売した同名アルバム『亲密爱人』に収録されている。また、同曲は映画『僕の愛は君に語る』のエンディングテーマである。2018年9月、同曲は第2回「最愛金曲ランキング」愛在東方美谷音楽祭典「最愛金曲賞」を受賞している。梅艶芳は収録中でも夜10時になると一旦休憩を取る習慣があった。プロデューサーの小虫は、その彼女がその時間、部屋の隅でしゃがんでボーイフレンドと電話をしているのを見ていた。その顔は笑顔であふれていた。その後、この楽曲ができたという話が残っている。
3『光り輝く歳月』Beyond
中国語:《光辉岁月》(guāng huī suì yuè)Beyond
Beyondは1983年に結成された黄家駒、黄貫中、黄家強、葉世栄からなる中国香港のロックバンド。1983年「Players Festival」で優勝し、デビュー。1986年、自身初のアルバム『さよなら理想』をリリース。『光辉岁月』は黄家駒が作曲し、Beyondが編曲した。1990年9月に発売した広東語アルバム『運命パーティー』に収録されている。共通語版は何啓弘、周治平が作詞し、Beyondが1991年4月に発売した共通語アルバム『光辉岁月』に収録されている。この曲は黄家駒が南アフリカの黒人指導者ネルソン・ロリヘラ・マンデラのために作った作品だ。1990年、同曲(広東語版)は1990年度十大力歌金曲授賞式で「十大力歌金曲賞」を受賞し、黄家駒は同曲(広東語版)で「十大力歌金曲最優秀作詞賞」を受賞した。
4『あなたへの愛がつきない』郭富城(アーロン・クォック)
中国語:《对你爱不完》(duì nǐ àn bù wán)郭富城 (guō fù chéng)
郭富城は1965年10月26日中国香港生まれの俳優、歌手、ダンサー。1984年に香港TVBダンススクールに入学し。1990年、郭富城は台湾の光陽機関車の広告で一躍有名になり、台湾でブームを巻き起こした。同年にリリースされたソロ初アルバム『あなたへの愛がつきない』はアジアでミリオンセラーを記録し、彼は音楽界での地位を築き、翌年には『私は静かに立ち去るべきではないか』などのバラード曲をリリースした。実は、『あなたへの愛がつきない』は陳楽融が作詞、羽田一郎が作曲、田原俊彦の『シルエットには踊れない』のカバー曲である。1991年、同曲は香港の無線テレビで最も人気のある中国語歌曲賞を受賞した。
5『夢が覚めるとき』陳淑樺(サラ・チェン)
中国語:《梦醒时分》(mèng xǐng shí fēn )陈淑桦(chén shū huá)
陳淑樺は1958年5月14日中国台湾生まれの、女性歌手。1973年ソロ初アルバム『愛の太陽』をリリースし、子役として芸能界入り。1985年第20回台湾テレビ金鐘賞年間最優秀女性歌手俳優賞を受賞した。1989年、ローリング・ストーン・レコードと契約。『夢が覚めるとき』李宗盛が作詞、作曲し、李正帆が編曲、1989年11月に発売したアルバム『あなたに言って聞いて』に収録されている。このアルバムは、台湾音楽史初のミリオンセラーアルバムとなった。2010年には中国語金曲賞の30年伝統選考「30年30曲」に選ばれた。
6『青りんごの楽園』小虎隊
中国語:《青苹果乐园》(qīng píng guǒ lè yuán )小虎队(xiǎo hǔ duì)
小虎隊は呉奇隆、陳志朋、蘇有朋からなる台湾の男性アイドルグループ。小虎隊は番組アシスタントとして登場し、雰囲気を盛り上げるために使われた。しかし、1988年にデビューするとアジアで頭角をあらわし、20回以上のコンサートも満員を記録し、『逍遥遊』と『愛』の2枚のアルバムは1500万枚近く売れ、当時台湾で最も注目された歌謡界の新人となった。『青りんごの楽園』は丁暁雯が作詞し、馬飼野康二が作曲し、馬飼野康二と陳志遠が編曲した。1989年1月24日に発売されたパーティーとのコンピレーションアルバム『あけましておめでとう』に収録されている。2010年には、中央テレビの春節パーティーで、歌舞類一等賞を受賞した。
7『三日月に照らされて』劉歓(リュウ・ハン)
中国語:《弯弯的月亮》(wān wān de yuè liàng)刘欢(liú huān)
劉歓は1963年8月26日中国天津市生まれのポップス歌手、ミュージシャン、音楽教育者、大学音楽教授。1987年、ドラマ「雪城」の主題歌「心の中の太陽」を歌い、本格的に音楽活動を開始。1993年、連続テレビドラマ「北京の人はニューヨークにいる」のために楽曲を創作し、同ドラマのオープニングテーマ「千万回の質問」を歌った。『三日月に照らされて』は李海鷹が作詞、作曲した曲で、1989年に作られ、音楽テレビ映画「大地の情語」の挿入歌である。同曲は1992年にリリースしたソロアルバム『モンゴル・セレナーデ』に収録されている。1990年、広東流行音楽ランキングの発表曲となり、四半期連続1位、年間1位を獲得した。同年、同曲は北京流行ランキング年度10大金曲賞を受賞した。2008年、李海鷹、劉歓は同曲で中国音楽家協会、中国共産党深セン市委員会宣伝部が授与した改革開放30周年流行金曲勲章を受賞した。
8『九妹』黄鶴翔(ホアン・へーシャン)
中国語:《九妹》(jiǔ mèi)黄鹤翔(huáng hè xiáng)
黄鶴翔は9月18日中国河南省出身の中国オペラ舞劇院国家一級俳優、ポップス歌手、ミュージシャン、中国金レコード賞受賞者。『九妹』は王雲好が作詞・作曲し、黄鶴翔が1996年に発売したアルバム『九妹・私と家に帰る』に収録されている。1998年、同曲は第5回「康佳杯」中国音楽テレビ大会銅賞を受賞した。『九妹』の作詞作曲者の本名は王志明。彼の楽曲が多くの音像会社に受け入れられず、重慶に帰る途中、女性「九妹」の甘く可愛い様子をみて、『九妹』を題材に出稼ぎ労働者が恋人を思うことを反映した歌を書く考えが芽生えたというエピソードがある。
9『同席のきみ』老狼(ラオラン)
中国語:《同桌的你》(tóng zhuō de nǐ)老狼(lǎo láng)
老狼、本名王陽。1968年12月3日北京生まれの男性歌手。1991年北京連合大学無線学科を卒業後、北京の工業自動化設計会社でコンピュータエンジニアとして働いていた。その後、1994年に香港大地レコード会社のレコード「キャンパス民謡」のレコーディングに参加し、『同席のきみ』『私の上で寝ている兄弟』『放浪歌手の恋人』の3曲のタイトル曲を歌った。『同席のきみ』は高暁松が作詞、作曲、編曲。1994年4月2日発売のアルバム『キャンパスフォーク1』に収録されている。1995年、この曲は1995年の中央テレビ春節パーティー「視聴者が選ぶ番組の金賞」を受賞した。2010年、「中国語金曲賞」の30年伝統選考会が12月12日に広州映画祭で発表され「30年30歌」に選ばれた。この曲は、高暁松が恋人への想いをつづった曲といわれている。
10『芳ちゃん』李春波(リー・リュンポ)
中国語:《小芳》(xiǎo fāng)李春波(lǐ chūn bō)
李春波は1963年11月12日遼寧省瀋陽市生まれの男性歌手、作詞家、監督、中国ポップスの風雲児。『芳ちゃん』は、1993年6月に発売されたアルバム『芳ちゃん』に収録されている。李春波が作詞、作曲。曲が出ると全国各地のランキング1位を獲得し、李春波は1993年度の全国10大人気男性歌手賞を受賞し、メディアから「小芳年」「李春波年」と呼ばれた。『芳ちゃん』は李春波があるパーティで出会った素朴で可愛い女性への歌である。彼は、その後この曲の主人公が現在の自分の妻であることを明かしている。
11『冬に雨を見に台北へ来て』孟庭葦(アーヤ)
中国語:《冬季到台北来看雨》(dōng jì dào tái běi lái kàn yǔ)孟庭苇(mèng tíng wěi)
孟庭葦、本名陳秀玫。1969年12月22日台湾省高雄市生まれの女性歌手、司会者。1989年、電車の広告に出演したことで芸能界デビュー。『冬に雨を見に台北へ来て』は孟庭葦の4枚目のソロアルバムで、1992年5月15日に台湾華星レコードから発売された。このアルバムは台湾で40万枚を超え、アジア全体で累計1000万枚を売り上げた。『冬に雨を見に台北へ来て』、『音のない雨』、『月の顔を見て』の3曲で、香港の「十大力歌金曲」国語力歌金曲と「十大力歌金曲」の10大新人賞に入選し、孟庭葦の中国語歌謡界での人気の基礎を築いた。
12『キスして別れ』張学友(ジャッキー・チュン)
中国語:《吻别》(wěn bié)张学友(zhāng xué yǒu)
張学友は1961年7月10日香港生まれの男性歌手、映画俳優、作曲家。1984年、第1回香港18区アマチュア歌唱大会優勝によりデビュー。1985年、ソロ初アルバム『Smile』をリリース。1986年発売の『遠い彼女』で香港の音楽界で注目を集めた、同年、個人初の映画『霹靂ラッパ』に出演。1989年、劇映画『旺角カルメン』で第8回香港アカデミー賞助演男優賞を受賞。1990年、武術映画『笑傲江湖』で第27回台湾映画金馬賞助演男優賞を受賞。1991年『毎日もっと愛して』で金賞を受賞した。『キスして別れ』は何啓弘が作詞し、殷文琦が作曲、編曲したもので、同名アルバムに収録されている。1994年、同曲は第5回台湾金曲賞最優秀年度歌曲、第16回十大中国語金曲IFPI国際歌曲大賞などを受賞した、殷文琦は同曲で第5回台湾金曲賞最優秀編曲者賞を受賞した。
作曲した殷文琦は映画『ラストエンペラー』に強い影響を受けている。1988年、『ラストエンペラー』は第60回アカデミー賞の最優秀映画、最優秀監督、最優秀オリジナル音楽賞を受賞したが、最優秀音楽賞を受賞したのはこの映画のために音楽を担当した日本人ミュージシャンの坂本龍一だった。殷文琦は坂本龍一を尊敬し、映画のストーリーに音楽を織り込んだ表現形式に興味を持っていた。そこで、殷文琦は自分のやり方で中国の特色のある映画音楽を作りたいと思い、作曲活動をしていたという。
13『大海は笑う』許冠杰(サミュエル・ホイ)
中国語:《沧海一声笑》 (chāng hǎi yī shēng xiào)许冠杰(xǔ guān jié)
許冠杰は1948年9月6日広東省広州市生まれの男性歌手、俳優、ミュージシャン。1967年にロータスバンドのボーカルを務め、同年にファーストアルバム『Just A Little』をリリース。1970年にソロ活動を開始。『大海は笑う』は1990年に公開された映画『笑傲江湖』の主題歌で、黄霑が作詞、作曲、顧嘉輝が編曲した。歌詞は『沁園春・雪』を参考にしているなど、毛沢東の言葉から多くの壮大なインスピレーションを得た。この曲は広東語、共通語の2つのバージョンに分かれている。広東語版は許冠杰が歌い、共通語版は羅大佑、黄錩、徐克が共同で歌っている。1991年、同曲は第10回香港アカデミー賞最優秀オリジナル映画歌曲賞を受賞した。
14『千年に一度』高勝美(カオシェンメイ)
中国語:《千年等一回》(qiān nián děng yī huí)高胜美(gāo shèng měi)
高勝美は1969年1月27日台湾省高雄市鳳山区生まれ、女性歌手。1985年に初の中国語アルバム『縁』を発売しデビュー。1989年2月にアルバム『かもめが飛んでいる彩雲が飛んでいる』を発売、このアルバムは中国大陸でとても人気となった。1990年2月アルバム『6つの夢』をリリース。1992年12月にはアルバム『新白娘子伝奇』をリリースしている。『千年に一度』は1992年に放送された中国の古典的な歌舞神話劇『新白娘子伝奇』の主題歌で、左宏元が作曲し、陳自が作詞したものである。ドラマの放送に伴い、この歌は中国語楽壇で最も伝承率の高い歌の一つとなった。2010年のドラマ『また白い女を見て』でも主題歌として採用されている。この曲は、『新白娘子伝奇』で千年の修行を積んだ蛇の妖白素貞が、千年前の命の恩に報いるために下界に下り、許仙と知り合い夫婦になるまでの物語に基づいて作られた。
15『弱い心で』任賢斉(リッチー・レン)
中国語:《心太软》(xīn tài ruǎn)任贤齐(rén xián qí)
任賢斉は1966年6月23日台湾省彰化県生まれのポップス男性歌手、映画俳優、作詞作曲家、監督、レーサー。1990年、歌手として本格デビュー、同年、ソロ初の音楽アルバム『もう一度聞く』をリリース。1991年映画『将兵が強盗を捕まえる』に出演し映画界に進出。『弱い心で』小虫が作詞、作曲し、Christopher Troyが編曲、任賢斉の出世作となっている。1997年、同曲は第20回十大中国語金曲「優秀国語歌曲賞(銅賞)」、第4回世界華語ランキング「Channel[V]中国語Top 20ランキング歌曲賞」を受賞した。
16 『水夫』鄭智化(チョン・ジファ)
中国語:《水手》(shuǐ shǒu)郑智化(zhèng zhì huà)
鄭智化は1961年11月14日台湾省台北市生まれの男性歌手、作詞作曲家、IT企業家。1987年、楽曲『ハッピーガールへ』の作曲でレコード会社のオーナーにスカウトされ、音楽業界に進出。『水夫』は鄭智化が作詞、作曲、陳志遠が編曲。1992年4月20日に発売されたアルバム『へそくり歌』に収録されている。2001年『水夫』は上海の中学1年生の音楽教材に選ばれている。『水夫』という歌は鄭智化が浴槽の中で書いたものだ。鄭智化はお風呂が好きで、お風呂に入るたびに幻想的に想像を膨らませていた。彼は自分が船に乗っていることを想像し、波のない海を見て、とても怖く、大きな力を秘めているような気がした。水夫のたくましい生命力を歌詞に書いたのが『水夫』である。
17『忘情水』劉徳華(アンディー・ラウ)
中国語:《忘情水》(wàng qíng shuǐ)刘德华(liú dé huá)
劉徳華は1961年9月27日香港生まれの映画俳優、ポップス歌手、映画プロデューサー、作詞家。1981年、映画『彩雲曲』への出演で芸能界入り。1985年、ソロ初アルバム『今、君を愛していることだけを知っている』をリリース。1990年、音楽アルバム『できるのかできないのか』で歌謡界で注目を集めた、同年、恋愛映画『天若有情』に主演。1992年、10大ヒット金曲賞で最も人気のある男性歌手賞を受賞した。『忘情水』は陳耀川が作曲し、李安修が作詞し、杜自持が編曲した曲で、劉徳華が1994年4月30日に発売した同名アルバム『忘情水』に収録されている。同曲は1994年公開の映画『天と地』のエンディングテーマであり、劉徳華の代表的な作品の一つでもある。1994年、同曲は香港十大中国語金曲賞、香港新城放送局強爆国語歌曲金曲賞などを受賞した。忘れさせてほしい、忘れることのできる水がほしい、そう歌ったのが『忘情水』である。
18『心雨』楊玉瑩、毛寧(ヤン・ユーイン、マオ・ニン)
中国語:《心雨》(xīn yǔ)杨钰莹、毛宁(yáng yù yíng、máo níng)
楊玉瑩は1971年5月11日中国江西省南昌市生まれ、本名は楊岡麗。ポップス女性歌手、ミュージシャン、司会者、俳優、豫章師範学院音楽学部客座教授。毛寧は1969年5月23日遼寧省瀋陽市生まれ、男性歌手、俳優、司会者。1989年、初のソロカバーアルバム『最高峰』をリリースし、本格的に芸能界入り。
「心雨」は劉振美が作詞し、馬兆駿が作曲、陳志遠が編曲。李碧華が歌った曲である。1987年8月にリリースされた同名アルバム『心雨』に収録されている。1993年5月に発売されたデュエットアルバム『何度かこのような愛ができる』にも収録された。1995年同曲は遼寧省文芸ラジオ局の「十大金曲」賞を受賞、2012年楊玉瑩は歌壇に復帰し、湖南衛星テレビの小年夜会に登場し、毛寧とこの歌を披露した。
19『平安をいのります』孫悦(スン・ユエ)
中国語:《祝你平安》 (zhù nǐ píng ān)孙悦(sūn yuè)
孫悦は1972年6月29日黒竜江省ハルビン市生まれの女性歌手、俳優。1992年に第5回CCTV若手歌手テレビグランプリに出場し銅賞を受賞しメジャーデビュー。『平安を祈ります』は劉青が作詞、作曲し、1994年に発売され、孫悦が1997年8月に発売したアルバム『この日のために』に収録されている。同曲はドラマ『シティー・イブ』の主題歌でもある。1994年同曲は上海東方風雲榜年度十大金曲賞と中央テレビ局年度MTV金賞を受賞した。
20『約束1998』那英・王菲(ナヨン、フェイ・ウォン)
中国語:《相约一九九八》(xiāng yuē yī jiǔ jiǔ bā)那英、王菲(nà yīng、wáng fēi)
那英は1967年11月27日遼寧省瀋陽市生まれの、中国語ポップスの女性歌手、映画俳優、作詞家。1988年、ノースウエスト調の曲『山あいの溝』で注目を集めた。1990年歌『山は水を回転させない』で「全国放送局」賞、全国青年歌手新人賞を受賞した。王菲は、1969年8月8日に北京市生まれの、中国語ポップスの女性歌手、俳優。1989年に初のソロアルバム『王靖雯』をリリースし、中国・香港の音楽界でデビュー。1992年には楽曲『傷つきやすい女』で知られる存在となった。 『約束1998』は、靳樹増が作詞、肖白が作曲。那英、王菲が歌った女声デュエット曲で、那英が1998年4月15日に発売したアルバム『征服』に収録されている。1999年同曲は第1回CCTV-MTV音楽祭典大陸部で最も人気のあるポップス、第5回世界華語音楽ランキングで最優秀歌曲賞を受賞した。
三 まとめ
さて、これまで1990年代の流行曲ベスト20をご紹介してきました。中国の経済成長にともない、様々なジャンルの歌が国内に入り、影響を受けているのが90年代のCポップともいえます。90年代ですと、日本だとELT、ミスチル、モー娘。米米CLUBなどがチャートに入り、今の40代~50代が懐かしいと思う曲ばかりだと思います(それぞれのアーティストさんは今でももちろん活躍されています)。そのくらいの年代が一度は聞いたことのある人気曲ばかりですので、知っている人もいるかもしれませんね!ぜひこの中から好きな曲を選んで覚えてみてくださいね!
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